2025年01月09日
こころとからだの癒し技ー「心配症」を治すー
人を不幸せに追いやる根源的なもの・・それは心の奥に刻み込まれた「不安と恐怖」に他ならない・・
私がこのブログで繰り返し繰り返しお伝えしている「この世の真理」です。
それこそ○○のひとつ覚えのごとく、何度でも言いたいことです。
不安や恐怖の呼び水になるのが、「心配する」ことです。
この「心配する」という心の動きは誰にでも標準装備されている代物です。
だからこそ厄介なのです。
単に「心配性」というのなら・・
それはその人のキャラとか性分としてやり過ごすこともできます。
しかしながら、「心配すること」は心身に強い影響を及ぼします。
それもネガティブなものとして。
「心配性」が度を越したり慢性化してしまったら「心配症」となってしまいます。
このような段階に至るとその人の幸福や成功を阻む原因になってしまいます。
多くの方々は心配しすぎても、良いことは何一つないことを知っています。
でも、「分かっちゃいるけれど、やめられない」のです。
その理由としては・・
①上記のように、人に元々備わっている感覚だから
②マスメディア・政府・世間等々が寄ってたかって不安と恐怖を煽る「情報」を絶え間なく拡散し続けているから
①の要因については、これは個人の力ではどうしようもありません。
それこそ激しい修行を長期間続けて達人の域に達するなら話は別ですが・・現実的ではありません。
②についてはある程度「予防策」を講じることはできます。
他者の言うことを「鵜吞みにしない」こと、「自分軸」で生きることができるようになれば可能です。
ただ・・こちらも結構なハードルが存在します。
しかしながら・・「心配症」が諸悪の根源だと分かっていて、手をこまねいていては何事もうまくはいきません。
ならば・・「できそうなことから始める」のが良策です。
小さなことからコツコツと(by西川きよし師匠)、積み上げていくしかないと思います。
「心配すること」を直ちに止められる特効薬的なものはありません。
人に元々備わっている本能とか欲望を見くびってはいけません。
更に・・心配することをやめようとすればするほど、余計に不安が増幅するという厄介な性質を人間の脳や心は備え持っています。
しかしながら・・
「心配症」、言い換えるならば「取り越し苦労」は己の意志でやめることができる、と私は確信しています。
「心ひとつの置きどころ」を変えればいいだけの話です。
今の私が皆さんに提案できる手立ては・・・
①「心配すること」自体を無理やりに拒んだり辞めようとはしない。
②一旦は心配しても、「心配したことのほとんどは実際には起きない」というエビデンスがあることを心に刻んでおくこと。
③②にプラスして「本当に困ったことは起こらない」「世の中の大抵のことはなんとかなる」というさら強めた積極的思考を心に刻むこと。
④取り越し苦労といったものは「ヒマであって、余計なことを考えるから」生じると解釈する。
したがって、身近で今すぐできることを行って(掃除がオススメです)体を動かして余計なことを考えないようにすること。
・・・と、こんな感じです。
とても「地味」な方法ばかりです。
ちょっとスピリチュアル的なものが入っています。
いかがでしょうか?
「効き目があれば、ラッキー」「暇つぶしにでもやってみるか」という程度の軽い気持ちで始めてみてはどうでしょう?
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。
私がこのブログで繰り返し繰り返しお伝えしている「この世の真理」です。
それこそ○○のひとつ覚えのごとく、何度でも言いたいことです。
不安や恐怖の呼び水になるのが、「心配する」ことです。
この「心配する」という心の動きは誰にでも標準装備されている代物です。
だからこそ厄介なのです。
単に「心配性」というのなら・・
それはその人のキャラとか性分としてやり過ごすこともできます。
しかしながら、「心配すること」は心身に強い影響を及ぼします。
それもネガティブなものとして。
「心配性」が度を越したり慢性化してしまったら「心配症」となってしまいます。
このような段階に至るとその人の幸福や成功を阻む原因になってしまいます。
多くの方々は心配しすぎても、良いことは何一つないことを知っています。
でも、「分かっちゃいるけれど、やめられない」のです。
その理由としては・・
①上記のように、人に元々備わっている感覚だから
②マスメディア・政府・世間等々が寄ってたかって不安と恐怖を煽る「情報」を絶え間なく拡散し続けているから
①の要因については、これは個人の力ではどうしようもありません。
それこそ激しい修行を長期間続けて達人の域に達するなら話は別ですが・・現実的ではありません。
②についてはある程度「予防策」を講じることはできます。
他者の言うことを「鵜吞みにしない」こと、「自分軸」で生きることができるようになれば可能です。
ただ・・こちらも結構なハードルが存在します。
しかしながら・・「心配症」が諸悪の根源だと分かっていて、手をこまねいていては何事もうまくはいきません。
ならば・・「できそうなことから始める」のが良策です。
小さなことからコツコツと(by西川きよし師匠)、積み上げていくしかないと思います。
「心配すること」を直ちに止められる特効薬的なものはありません。
人に元々備わっている本能とか欲望を見くびってはいけません。
更に・・心配することをやめようとすればするほど、余計に不安が増幅するという厄介な性質を人間の脳や心は備え持っています。
しかしながら・・
「心配症」、言い換えるならば「取り越し苦労」は己の意志でやめることができる、と私は確信しています。
「心ひとつの置きどころ」を変えればいいだけの話です。
今の私が皆さんに提案できる手立ては・・・
①「心配すること」自体を無理やりに拒んだり辞めようとはしない。
②一旦は心配しても、「心配したことのほとんどは実際には起きない」というエビデンスがあることを心に刻んでおくこと。
③②にプラスして「本当に困ったことは起こらない」「世の中の大抵のことはなんとかなる」というさら強めた積極的思考を心に刻むこと。
④取り越し苦労といったものは「ヒマであって、余計なことを考えるから」生じると解釈する。
したがって、身近で今すぐできることを行って(掃除がオススメです)体を動かして余計なことを考えないようにすること。
・・・と、こんな感じです。
とても「地味」な方法ばかりです。
ちょっとスピリチュアル的なものが入っています。
いかがでしょうか?
「効き目があれば、ラッキー」「暇つぶしにでもやってみるか」という程度の軽い気持ちで始めてみてはどうでしょう?
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。
Posted by 伝承者 at 18:58│Comments(0)